VOL.188.2 / 2026.06.20
セネガルはこんな国だった!~Part 2~

前回に引き続き、セネガルの旅レポートです。(前回はコチラ)
今回はいよいよ、この旅の本来の目的である女性シェルターの訪問と、
世界遺産の街・サン・ルイ島へ。旅の後半は、楽しいだけでは済まない、
現実と向き合う時間となりました。
Chapter 05
お金だけでは解決できない、女性シェルター訪問
さて、今回のセネガル訪問の本来の目的、女性シェルターへ向かいます。
ところが残念なことに、友人はこの支援から手を引く決断を数か月前にしており、
今は日本大使館が1千万円をかけて建ててくれた建物だけが、虚しく残されていました。
日本大使館が援助して建ててくれた女性シェルターの建物。立派なのに、何にも使われていません。
以前このコーナーでご報告したバングラデシュでも女性シェルターを訪れましたが、
あちらのNGOも政府からの援助を受けず、北欧からの支援金だけで運営していました。
政府の援助を受けると運営に口を出されるため、あえて独立してやっているそうです。
セネガルのこのシェルターも、運営母体の代表はフランスに住んでおり、
現地のNGO自体がどこまで本気なのか、傍から見ていても疑問が残るほどでした。
友人が改善点をいくら指摘しても反応はなく、ミーティングは自己都合でキャンセルされ続け、らちが明かない状態が長く続いたそうです。
シェルターの部屋の中。
セネガルでは政府の支援を断っているのではなく、そもそも政府は何もしてくれない。外国の支援を積極的に求める姿勢もなく、「電気が壊れた」「働く人がいない」「給料が払えない」 と嘆くばかり。
みんなで記念撮影。「日本の援助で建てられた」との記念プレートが虚しい。
どんなに力になりたくても、お金だけでは解決できないことはたくさんある。 NGOの組織運営がしっかりしていなければ、継続して支援することはできないのだと、 あらためて痛感しました。
セネガル側のNGOと大激論。
なんとも残念な現実を突きつけられながらも、それでもセネガルの人々の考え方や暮らしぶりを知りたくて、みんなで家庭訪問をしてきました。
セネガルはお米も食べるし、肉・野菜・魚と食文化が豊かです。
訪問先では美味しい手料理をごちそうになり、みんなで大満足のひとときでした。
セネガルでは床に直に大皿を置いてみんなで食べます。
セネガルの人々を見ていると、「現状満足型」に見えます。 もっと稼げるチャンスがあるはずの場面でも、それ以上を望まない。 勤勉さで上昇志向を持ち続けてきた日本人とは対極にいるようで、 アジア人の常識とはまったく別の価値観がここでは作動しているのかもしれません。
セネガル人のお宅にお呼ばれして。
でも、識字率は約60%、失業率は50%。 この現実をなんとかしようとする動きが見えにくいのは、 ぽっと来た外国人には到底わからない、深い事情があるのでしょう。
Chapter 06
タリベの子供たちに会いにサン・ルイ島へ
サン・ルイ島は海に面していてかなり大きな漁村でもあります。どこかキューバのような街並み。
ダカール(首都)、ティエス(第二の都市)を訪れた後は、
かつてフランス・セネガル総督府が置かれていたサン・ルイ島へ。
フランス300年の統治の痕跡が街並みにそのまま残り、世界遺産にも登録されています。
『星の王子様』を書いたサン・テグジュペリがこの地に滞在し、
あのベストセラーを書き上げたことでも知られる場所です。
奴隷貿易の中心都市として栄えた歴史を持つ。
左:お祈りは欠かせません。右:食用にお庭では山羊を飼っていることが多いそうです。
今回この地を訪れた目的は、友人がボランティアでケアを続けてきた「タリベ」の子供たちが
暮らす場所を訪問し、その現実を自分の目で見ることでした。
タリベとは——孤児や親に棄てられた子、マリやギニアなど戦乱の続く地域から命からがら逃げてきた子供たちが身を寄せる共同体のこと。
宗教指導者がイスラムの教えを授けながら面倒を見ているのですが、
その「寝所」は屋根もまともではない掘っ立て小屋のような建物で、
剥き出しのコンクリートに20畳ほどの空間、扉も窓もありません。
そこに子供たちがぎゅうぎゅうになって眠っています。
こんな所で寝泊まりしています。蚊帳はあっても穴が開いていて意味がない。ここに20人くらいの子がごろ寝をしています。
サン・ルイにはこうした場所が数カ所あり、総勢200人あまりの子が暮らしています。
冬に雨が降れば排水設備がないため水浸しになり、ただ寒さに震えるしかない。
日々の暮らしは物乞いで賄っているそうです。
最初は「子供に物乞いをさせるなんて」と思いました。でも国からの援助もなく、
ボランティアも一人また一人と去っていく中で、誰にも頼れずに子供たちを生かし続けるために、
今日を生き抜く術を教えること——それがこの共同体の掟なのだと、
4カ所を訪れるうちに理解できました。
粗末な寝所が学校でもあり、ここでアルファベットやコーランを学んでいるそうです。
最後の寝所を出る時、案内してくれたボランティアのブバカが言いました。
「日本の皆さんがタリベを訪れてくれたことに感謝します。誰からも見捨てられたこの子たちがセネガルで必死に生きていることを、どうか忘れないでください」と。
私にできるささやかなことを、と思い、寄付をしてきました。
Chapter 07
コロニアルな宿と、馬車で巡るサン・ルイ
サン・ルイの古くて可愛いホテル。
左:サン・テグジュペリにちなんで星の王子さまを。右:ホテルの室内
重い現実と向き合う時間の一方で、サン・ルイ島そのものは驚くほど可愛らしい街です。 世界遺産の街並みの中に、コロニアルな古いホテルが点在していて、それぞれに味があって素敵でした。
至るところにグリーンがあって、ホテルのインテリアと調和。
最終日は、友人の幼馴染であるセネガル人の方が馬車で島内を案内してくれました。
サン・ルイの歴史、セネガル人の気質、アフリカの未来、彼らの誇り。馬車に揺られながら、いろんな話を聞かせてくれました。
彼はサン・ルイの良家の出で、英語を学びに外国まで行けるような環境にいましたが、務めていた会社が倒産してしまい、近いうちにパリで就職しようと計画中とのこと。失業率50%のセネガルでは、仕事はなかなか見つからないそうです。
北アフリカ以外では初めてのアフリカ大陸でしたが、想像よりずっと都会で、
貧富の差が激しく、それでも皆がセネガル人であることを誇りにして生きていました。
世界は広い。人間は様々。
でも、みんな同じように家族を愛し、平和を望み、今日を一生懸命生きている。
また次の旅へ、期待は膨らむのでありました。
〈セネガル編、おわり〉




