VOL.185 / 2026.06.08
セネガルはこんな国だった!~Part 1~

皆さん、こんにちは。お久しぶりの旅レポートです。
この間、どこにも行かなかったのか?と言われるとそんなことはなく相変わらず放浪していましたが、やはりレポートに上げるなら、皆さんが行ったこともないような国の方が面白いだろうということで、間が空いてしまいました。
片道24時間の長い道程です。
今回の旅は日本から西の果てのアフリカ、セネガルへ。
「セネガルに行く!」と友人たちに話すと、「それどこ?」「何があるの?」と、一様に怪訝な顔をされます。
わかります、わかります。50か国以上を旅した私でも、アフリカ大陸はモロッコやエジプト以外に足を踏み入れたことがありませんでした。セネガルなんて、一生ご縁もなさそう…そう思っていたのに。
きっかけは、友人がセネガルで女性シェルターの運営をしているのですが、その窮状を訴えていたので、それなら現地をこの目で見て、納得出来たら寄付をしよう!という話になり、遠路はるばるセネガルまで行くことにしたのでした。
渡航するまでの間に友人からセネガルの楽しい話を色々教えてもらい、「貧しく食べるものがなくて、やせ細って死んでゆく子供たち」という私の中のイメージは、少しずつ塗り替えられていきました。
Chapter 01
知られざる西アフリカのリゾート、Saly
最初に降り立ったリゾート地「Saly」。青い海と空、白い砂浜が広がる。
初めて降り立ったのは、セネガルでも有数のリゾート地「Saly(サリー)」。
青い海、青い空、白い歯が眩しい Black African——写真だけを見せたら、ここがセネガルだとは誰も思わないでしょう?
セネガルは300年余りフランスの植民地だったため、人々が話す言葉はフランス語。宿泊したリゾートホテルはほぼフランス人で大盛況でした。
美しいプールサイドに、かわいいとんがり帽子のコテージ。
夕方から涼しい海風に頬を撫でられながら、獲れたての生ウニ・生ガキ・エビ・カニ・ムール貝を冷えたシャルドネとともに。
これが、あのイメージにしていたAfricaの現代の一面でもあるのです。
特大パエリアにはエビ・カニ・ムール貝・お魚がゴロゴロ。海の幸の船盛も圧巻でした。
私の旅のお供は、定番の シルクサテンパンツのカーキ。
Chapter 02
カラフルなアフリカ布と、市場の裏側
ここ最近、アフリカの布で作られた洋服やアクセサリーが巷で目に着くようになったのはお気づきかと思いますが、欧州ではもっと前から結構ブームだそう。
日本も遅まきながらこのカラフルなアフリカ布で作られたパンツやワンピースが販売されるようになりました。
現地の女性たち。着こなしが素敵です。
アフリカの女性たちはカラフルな服で街を闊歩していて、明るく、派手で、素敵です。
セネガル人は生地を買って洋服を仕立てるのが普通だそうで、型紙もなく、簡単なデザインが多いのですが、街には仕立て屋さんがたくさんあります。
私も「せっかくだから」と少し複雑なデザインをオーダーしたのですが、結び目が逆になっていてやり直してもらうひと幕もありましたが、それはご愛嬌ですよね。
みんなでたくさん生地を買い込んだあとは海辺のカフェで一息。この大西洋に夕日は沈んでゆくのでした。
市場にはセネガル人が営む、布が山積みの店が乱立しています。しかし、売り込みの激しさに辟易し、多くの日本人は退散してしまいます。
一方、そこから少し脇道に入ったビルの中には、フランス人がオーナーのおしゃれな店があります。綺麗にディスプレイされた布は、実は市場のものと同じ。それなのに、見せ方や環境が違うだけで、こちらは高値でも観光客や海外バイヤーに大人気です。
同じものを売っているのに、セネガル人の店は地元の人のみ、フランス人の店は高値で大人気。なんだか、残念です。
左:セネガル人経営の市場の店。もう商品がぐちゃぐちゃに置いてあるだけ。右:フランス人経営のセレクトショップ。見やすくディスプレーされていて、同じ布なのにオシャレ度は段違い。
フランス人経営のセレクトショップは、お店に上がる階段のディスプレイも素敵。
Chapter 03
記憶しなければならない場所、ゴレ島
世界遺産、ゴレ島へ向かいます。
世界遺産ゴレ島とは?こちらがとても分かりやすく説明されているので、ぜひご覧ください。
〈私の故郷 セネガルの世界遺産・ゴレ島〉
言われなければ、リゾートの島にしか見えない。
外から見れば、美しいリゾートアイランドにしか見えませんが、この島は人間の仕業で最も唾棄するものの一つである奴隷制度が、かつて300年以上にわたり、奴隷貿易の中継地として機能していた場所です。
それは、それは奴隷商人は儲かったそうです。
奴隷ビジネスは、まず、地元の黒人部族が人間狩りをするところから始まって、それを扱う北アフリカ人が絡み、ポルトガル人、スペイン人、フランス人、そしてアメリカ人と渡ってゆきます。
この奴隷がつながれていた所には一部屋にたくさんの人間が詰め込まれ、劣悪な環境の中、船が港に着き、乗せられるのを待っていた場所です。
奴隷の館は海にせり出したところに建っていて、1階は奴隷が押し込められていた石牢のような作り、2階は管理者が住んでいたらしいです。
海にせり出した建物の1階は石牢。体格のよいものだけが優先的に船に乗せられ、体力のなさそうなものは太らせるためにたくさん食事を与えられた。
反抗的なものは小さな洞穴のような場所に詰め込まれ、逃げる意思を削がれたといいます。
この扉を出たら、二度とアフリカには戻れなかった。
石牢の奥にある「帰らずの扉」の先には、大西洋に向かって開く出口があるだけ。
一度この扉を出たら、二度とアフリカには戻れなかったのです。マンデラ元南アフリカ大統領、オバマ元大統領、ジャクソン・ファミリーも訪れたこの施設は、私たちが決して忘れてはならない歴史を、静かに、しかし確かに伝えています。
左:2階は奴隷貿易の歴史をわかりやすく展示。右:見学に訪れたジャクソンファミリー。
Chapter 04
ジャンベの鼓動が聞こえるゲジャワイ村
セネガルといえば、ジャンベという太鼓。フランスやベルギーで活躍するパフォーマーや歌手が数多く輩出されており、街で太鼓の音が聞こえると通行人が思わず踊り始めるような、そんな国と人々です。
こうやって丸太が届き、職人の手でジャンベへと生まれ変わっていく。
このゲジャワイ村は、丸太から太鼓・木琴・木製アートを生み出すアーティストたちの集積地。細い迷路に沿ってお店兼制作場が連なり、製作者たちが実際の名ドラマーだったりします。
木を仕入れ、楽器を作り、自分で演奏し、CDまで出す。その一連を一人でこなす職人技に、思わず目を奪われました。
左:アーティストが作品を制作する様子。右:こうして楽器が仕上がっていく。
ひとしきり村を見て回った後は、タクシーにジャンベを積み込んで皆んなで浜辺へ移動。
そこで、即興の大演奏会とダンス大会の始まりです。
プロの踊りに続いて、私も負けじとセネガルダンスに挑戦しました(のつもり)。
そして夕日は、大西洋の彼方へと静かに沈んでいきました。
浜辺でのジャンベ演奏、プロのダンスパフォーマンス、私もセネガルダンスに挑戦。ぜひ動画をタップしてご覧ください(音が出るのでご注意ください)。
〈次回に続きます〉
ブランドディレクター”Y”
大学卒業後、インテリアブランドを立ち上げる。20年にわたるブランド構築経験を活かした後、ブランドコンサルティングを開始。DRESS HERSELFでは、自身の実体験や同世代の悩みをすくい上げ、女性の生き方をベースに、コンセプトからシーズン毎の企画、方向性などを牽引。世界中で暮らし、旅した経験があり、ロックで自由でパワフル。




